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zoom RSS 『オッパーマン家の人々』、1933年ベルリンをリアルタイムで再現した小説の映画化

<<   作成日時 : 2018/01/10 07:57   >>

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 原作の『オッパーマン家の人々』(”Die Geschwister Oppermann”、直訳は「オッパーマン兄弟姉妹」1933年作)は、伝記小説『ゴヤ』で知られるユダヤ系作家、リオン・フォイヒトヴァンガーの初期作品群、『待合室三部作』の第二作目にあたる。内容は1932年11月からヒトラーの首相就任をはさむわずか数ヶ月間に、ベルリン在住の裕福なユダヤ人一族におこった悲劇的出来事について描かれており、時代と同時進行で書き上げられた物語だ。1945年以降、ナチスの蛮行が明らかになってからの小説は多いが、まだそれらが現実のものとなる前にこれだけの作品を書きあげた作家の透視力には驚愕する。
(上写真は若き日のリオン・フォイヒトヴァンガー。1909年当時)

 早くからナチスを批判していたフォイヒトヴァンガーは、ちょうど講演でワシントンを訪問していた1933年1月30日にヒトラー首相就任の知らせを受け、そのまま亡命した。作品は即座に出版され、翌1934年の3月にはヒトラーの台頭に警鐘を鳴らす作品としてニューヨーク・タイムズで紹介されている。映画化は1939年のソヴィエト連邦モスフィルム版と、1982年のドイツZDF放送版と2作品あるが、今回はZDFテレビ用映画を中心に原作を参照しながら紹介する。2つの映画作品の比較については、最後のほうでちょっとだけ触れる。では物語。

 オッパーマン家はベルリンで祖父の代から家具製造販売業を営んでいた。家業を継いだ次男のマーティンは本店支店をかまえてなかなか羽振りも良いし、長男のグスタフは文筆家、三男のエドガーは大学病院の教授、妹のクララは実業家と結婚し、みな裕福に暮らしていた。だが、ナチスの勢力拡大にともなって、人々はユダヤ人を露骨に敵視するようになる。客足がこれ以上遠のくのを防ぐため、マーティンはグスタフの反対を押し切って、支店すべての名前を「ドイツ家具有限会社」という当たり障りのないものに変えざるをえなかった。それでも本店だけは「オッパーマン家具」の名前を捨てがたく、成立しかけていた商売敵、ヴェルスの家具店との合併話をうやむやにしてしまう。

 いっぽうグスタフはレッシングの伝記を書きたくて奔走していたが、実績があるにもかかわらず許可がおりない。ドイツ人の友人であるミュールハイム教授は事態を深刻にとらえ、彼に現金資産を国外に移すよう説得するのだが、グスタフ自身は楽観的で応じようとしない。50歳の誕生日には親族や恋人、友人が集まって盛大に祝ってくれる。話題はナチスが選挙でどれだけ勢力を伸ばすか、など政治的なことばかりだ。親戚にはユダヤ人もドイツ人もいて、親しく付き合ってはいるが、ナチスに対する態度はそれぞれ微妙にちがっている。

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 グスタフの末弟で咽頭外科のエドガーは、ある優秀な若手ユダヤ人医師を昇格させたいと希望していたが、受入れられない。そればかりか、施している難易度の高い手術について「ユダヤの殺人祭式の場だ」、と新聞で攻撃される事態になってしまう。今でいうヘイトだ。患者もしだいに敵対的な態度をとるようになったある日、ナチスが乗り込んできてエドガー以下、ユダヤ人の医師たちを連れ去ってしまう。

 さてマーティンの息子、ベアトホルトは自分のことをゲーテやブラームス、ベートーヴェンを愛する良きドイツ人と認識している青年だった。ところがある日、学校に新しくやって来たナチス党員である教師、フォーゲルザングからドイツナショナリズムの英雄であるアルミニウスについてエッセイを書くように言われる。本当は「ヒューマニズムと20世紀」について書きたいと考えていたベアトホルトだったが、新任教師の指示に従ってアルミニウスについて調べ始める。物知りな伯父や従兄弟たちと討論し合ったベアトホルトは悩んだあげく、フォーゲルザングに挑戦的なプレゼンテーションをやってしまう。騒ぎは大きくなり、がんじがらめになったベアトホルトは睡眠薬を飲んで自殺する。このへんの内面の葛藤と思考の推移を表現するのは映画では無理で、原作のほうがはるかに迫力があるのはまあ、しかたがないだろう。

 1933年1月30日、ヒトラーが首相に任命された。街では茶色いシャツを着た者たちがますます横暴にふるまうようになる。ある日の真夜中、寝ていたグスタフの電話が鳴った。ミュールハイム教授が「大変なことになったからすぐ行く」というのだ。興奮してやってきた彼が口にしたのは、「議事堂が燃えた」だった。そして、すぐに国を出るようグスタフを説得する。翌日の列車でグスタフがベルリンを去った直後、家になだれ込んだナチス党員は、使用人をなぐったり家中を荒らしたりしたのだった。

 これ以上「オッパーマン家具」を名乗ることは不可能だと悟ったマーティンは、一度は合併を断ったヴェルスに頭を下げに行く。ヴェルスは親衛隊長になっていた。マーティンの会社にはナチス党員が管理員として送り込まれた。当時、他の職場から排除されたユダヤ人である知人を雇っていたマーティンに対し、管理員は即刻解雇するように命ずる。経営者なのにユダヤ人を雇う権限がないのだ。なんとか解決しようとしていた矢先、マーティンは親衛隊に夜襲されてベッドから連れ出され、生きて帰れないと噂のある地下牢につれて行かれる。そこには大勢のユダヤ人が集められ、ひどい扱いを受けていた。一晩で無事に釈放されたマーティンは、街路で途方にくれていた。

 映画はここで終わるのだが、実は原作はまだまだ続く。エドガーのかしこい娘や戦闘的な甥っ子が活躍したりするエピソードもある。だが悲しいことに、グスタフは人々の良識を信じてドイツに戻ったところを逮捕され、収容所送りになる。恋人の奮闘で出ることはできたのだが、すでに体は回復不能なほどに痛めつけられていた。最後はマーティンやエドガーに静かに看取られるのだった。

 映画はこうした悲惨な物語を感傷的になることなく、乾いた視点で淡々と描写している。冒頭で触れたモスフィルム版とは対照的な描き方なのだが、実はドイツ版のほうが原作の雰囲気をよく出している。ソビエト版には原作にない活劇が挿入されていたり、エイゼンシュタインを彷彿とさせるようなカメラワークが見られたりで、それはそれとして面白い。だが、1時間40分ほどの時間でメリハリのあるわかりやすい作品にしあげようとしたせいか、主人公がベアトホルトになり、本来の主人公であるグスタフが配役から抹消されている。さらに驚くのが制作年だ。1939年といえば、独ソ不可侵条約を結んだソビエトがポーランドに攻め込んだ年である。そして監督のグレゴリー・ロシャールは、スターリン体制でかなり出世した人物らしい。映画はそれなりに良くできているので、鑑賞した後に考え込んでしまった。なお、リオン・フォイヒトヴァンガーの『待合室三部作』はすべてドイツで映画化されている。





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