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zoom RSS 『ケイブル通りの闘い』1936年ロンドンのカウンター・ファシズム

<<   作成日時 : 2017/05/14 01:32   >>

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 1936年10月4日、ロンドン東部のケイブル・ストリートでファシストと市民との大規模な衝突があった。『Hidden London: The Real Battle of Cable Street』(39分)は、事件の背景や経緯を残っているニュースフィルムと、当事者の証言や学者の分析などから再現した短編ドキュメンタリーだ。

 事件はロンドン東部で起こった。イギリスファシスト連合(BUF)のオズワルド・モーズリーは1936年10月、ユダヤ人の多く住む地区を黒シャツ隊でかためて示威行進しようとする。ケイブル・ストリートはユダヤ人をはじめアイリッシュや移民が多く住んでいる非常に貧しい通りだった。オックスフォード大学の講師、アラン・ハドスンは、「これはモーズリー率いるファシストとロンドン東部住民の闘いだと言われているが、実際はファシスト、警察、そして住民の三つどもえの闘いだった」という。残っている映像では、カウンターの住民たちを騎馬警官が打ちのめしており、問題は権威をかさに着た警官の勝手な行動だった。



 当時、ホワイトチャペルまでの道筋には非常に貧しい借家が軒を連ねていた。安いとは言っても、貧しい人々はその家賃を払えなくて、よく追い出された。30年代の社会運動は、追い出される人々を地主から守ろうとする。資料によると、共産党の地区組織は被害者がファシストであっても彼らを助けようとした。他の党員が「何でそんなことをするんだ」と問うと、地区の党員は、「これが僕らが取り組んでいる問題であり、"彼ら"の政治問題であり、討論すべき問題なんだ」と答えたという。こうして、共産党員は貧しいファシストが借家から追い出されそうなのを助けた。ハドスンは言う、「闘いは一義的には地域の労働者階級と国家(state)の間のものだった」。現在では想像しにくいが、極端に貧しい移民共同体での生きかたでもあったのだろう。

 こうした地域にBUFは黒シャツ隊を送り込んだ。モーズリーは、1932年に組織したBUFがなかなか勢力を拡大できなくてあせっていた。そこで考えついたのが、移民のひしめく貧しいケイブル・ストリートをターゲットに、イギリス人の排外的な感情を煽ることだった。これを許さなかったのが、ロンドン東部の住民である。実際にカウンターに参加したビル・フィッシュマン教授は民衆がバナーを振り、こんな歌を歌ったのを鮮明に覚えている。「イチ/ニッ/サン・シ・ゴ♪/生きてようが死んでいようが/モーズリーを引きずり出せ!」。ユダヤ人とアイリッシュの住民が主だった。ハドスンは「多様な人々が民族や文化によるのではなく、ファシストを阻止するという政治的目的で結集したことが重要だ」と述べている。

ところが労働党は動きたくなかった。「ファシストに対抗するのは危険すぎるし、問題ありすぎるし、ややこしくて・・・」、等々。ユダヤ人団体のほうでも、「とにかく危険だから外出するな」という雰囲気になってしまった。おまけに共産党は労働党と仲良くしていたい事情がある。だがこの時、ユダヤ人とアイリッシュの造船労働者が共存している共産党の地区組織が重要な役割を果たした。「オッケイ、俺たちは労働党との関係もあるからカウンターはできないけど、別のことをやるよ。当日にトラファルガー広場で、スペインでファシストと戦っている兄弟たちと連帯するデモをやろう」。共産党としても本来はケイブル・ストリートでのカウンターに参加するのが筋だから、ロンドン本部は戦術的にすごいプレッシャーをかけられたわけだ。結局、間際になって、独立共産党の地区全員とアナキストたちが組織化された。たった48時間で地域の人々を集めなければならない。



 10月4日、フィッシュマンは第一防御線であるレモン・ストリートに向かった。数時間のうちに地下鉄の駅から出るにも出られないほどの民衆がモーズリーたちを阻止するために集まり、その数は20万人ともいわれている。記録では80人が負傷し、80人が逮捕された。数が少ないのは、カウンターを組織した地区の住民が独自の医療機関を準備し、そちらで保護されたけが人は記録されていないからだ。ファシストのデモ隊は警官に守られていたが、そのうちに路面電車がやってきて、道の真ん中で止まってしまった。警官隊に対するバリケードである。騎馬警官はカウンターを殴りつけるのだが、民衆は後から後からわいてくる。ケイブル・ストリートの行き止まりで髭を生やしたユダヤ人とアイリッシュのカトリック造船労働者がいっしょになってバリケードを張った。4時間もの攻防のすえ、これが警官隊を止めた。結局、ファシストたちはイーストエンドに入ることができず、方向を変えて去って行った。このカウンターは勝利に終わったわけだが、「その後の民主的団結に関する制限は、ファシストに対するよりもむしろ労働者階級に対して厳しくなっていった」、というのがハドスンの見解だ。

 このドキュメンタリーは制作者のWorldwriteによってVimeoに公開されているので、以下に紹介する。(カラー39分、A WORLDbytes-Hidden London Production制作、制作年は2010年と思われる。*注:2006年の”The Battle of Cable Street”は別作品です。)

Hidden London: The Real Battle of Cable Street from worldwrite on Vimeo.




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