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zoom RSS 『ボルクヴァルト倒産の顛末』2019年TVドキュドラマ

<<   作成日時 : 2019/01/30 21:01   >>

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 ボルクヴァルトはドイツの地方都市、ブレーメンに拠点をおく自動車メーカーで、その斬新なデザインと思い切った技術革新は戦前から世界中の耳目を集めていた。戦後はドイツ産業復興の波にうまく乗り、フォルクスワーゲンやオペルに次ぐ第3の企業に躍り出るが、わずか数年の栄華を極めた後、1961年に倒産してしまう。一地方資本に何が起こったのか。経営者の体質、その過去、そして自由ハンザ同盟都市としてのブレーメンの政治図、競合自動車会社・BMWの計略などを今日的視点から解明し、ドキュドラマに仕立て上げた番組、"Die Affäre Borgward"が今、Das Erste(第一ドイツテレビ)で放映されている。主役のカール・ボルクヴァルトを演じるのは、あらゆるドイツ映画に顔を出す実力派、トーマス・ティーメ。番組表ではドキュメンタリー枠に入っているが、これはノンフィクションとはいえないだろう。本来は、「この物語は事実に基づいてドラマ化したものである」、という但し書きを番組の冒頭に入れるべき種類の歴史ミステリーである。それだけに非常に面白い作品にしあがっている。

 ボルクヴァルト自動車の社長、カール・ボルクヴァルト(1890-1963、以下、C. ボルクヴァルト)はブレーメン自由ハンザ同盟政府(Senat der Freien Hansestadt Bremen、以下、SENAT)の議員たちから嫌われていた。傲慢不遜なのだ。工場では社長室よりは設計室に入りびたり、新車の設計からデザインまで自分でやって、粘土の模型を造っている。実際、彼のデザインによる「イザベラ」や「アラベラ」は非常に美しく、新興中産階級の購買意欲をおおいに刺激した。おかげで工場は2万余人の雇用を生み出し、部品製造元や販売代理店も含めてボルクヴァルトはブレーメンの産業を牽引するまでになった。だが、栄光は長く続かない。「イザベラ」は車の規模に対して車体板が軟弱であったり、いろいろ機能を追加したせいで価格が跳ね上がったりして、顧客離れが始まっていた。「アラベラ」は雨水が足元に溜まるという構造上の欠陥が当初からわかっていたが、不都合な報告はワンマン社長のところまで上がらずもみ消されていた。会社規模に対して資本が脆弱なため、税理士は株式会社化を勧めるのだが、「俺の会社は誰にもわたさない」といって耳を貸さない。部品製造元への支払いも90日後で、欠陥車対応に支障が出る。社長は相変わらず次々と新車をデザインし、モデル数だけは増える。採算の取れない「アラベラ」を減産しようとすらしない。これらが重なってボルクヴァルトの負債は膨らみ、経営が傾いていく。テレビCMでは近代的な工場内や美しいボディー、福利厚生が行き届いていて幸せそうな労働者の様子が明るいニュースとして報道されていたが、実際は崖っぷちだったのだ。
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 SENATに資金援助をしてほしいと申し出たC. ボルクヴァルトに対し、ブレーメン市長は事業を株式会社化してフォードと提携するよう提案した。だが、C. ボルクヴァルトは聞かない。そして、いつもの傲慢さで「SENATは我々を援助すべきだ。フォードは港のそばという立地に興味があるだけなんだから、あんたがフォードをブレーメンに来させるってんなら、俺は工場をニーダーザクセンに移転してそっちに税金払うぞ。いいのか?」、と州政府をおどす始末だ。SENATでは結論の出ない会議が続いていた。「ボルクヴァルトはブレーメン最大の企業だ・・・我々に絶え間なく圧力をかけてくる・・・底の抜けた樽だよ!・・・我々が責任を負うのか!」。

 ここで、ドイツ人は皆知っているが、日本ではあまり知られていないC. ボルクヴァルトの履歴について、簡単な説明を加えておく。C. ボルクヴァルトは第一次世界大戦に従軍した後、ブレーメン近郊の土地を買い上げ、自動車工場を設立する。1938年にはナチ党員になり、自動車業界の防衛経済指揮官に任命されて、もっぱら戦車と軍用トラックを製造した。1944年、工場は連合軍の爆撃で壊滅的な被害を被るが、そのときに働いていた労働者の半数は、戦争捕虜と東方からの強制移住者だった。こうした経緯からC. ボルクヴァルトは戦後9ヶ月間、ルートヴィヒスブルクの戦犯収容所に拘留されている。非ナチ化が終了した1948年以降、C. ボルクヴァルトは再び自動車工場の経営に乗り出し、産業復興に大きく貢献したとして連邦大功労十字勲章を授与される。こうした過去をもつ人物なのでSENATの議員たち、とりわけSPD(ドイツ社会民主党)議員から冷たい目を向けられるのは当然のことだった。ドラマでは、C. ボルクヴァルトが過去ナチ党員として政治的な人物であったことを、SPDの議員が激しくなじる場面がある。

 さて、市への援助依頼をかぎつけたシュピーゲルは、カバーストーリーで徹底的にたたき始める。「C. ボルクヴァルトさんは新しい車でフロに入るの?」、「ボルクヴァルトは素人細工」といった見出しが躍る。地方紙も負けてはいない。「C. ボルクヴァルトがくしゃみをするとSENATが揺れる」。事態は最悪である。クリスマスが迫っているのに、従業員2万人に賃金が支払えないのだ。これにはアデナウアー内閣のエアハルト経済相が「工場救済のための特別会議」を宣誓召集することで、急場をしのいだ。

 いっぽうSENATのなかには、社長はずしを画策している議員もいた。FDP(自由民主党)のヴィルヘルム・ノッティングハウフである。彼はミュンヘン在住の実業家と密会し、ボルクヴァルトの再建に関わるよう依頼する。だがその実業家、ゼムラーはBMWの監査役員長であることを隠したまま、ブレーメンに乗り込もうとしていた。当時のBMWはボルクヴァルトに遅れをとっており、技術や人材を盗むにはもってこいの話なのだ。BMW内部の人間であることについてゼムラーは、「ノッティングハウフは訊かなかったし、私も言わなかった」と述懐している。ブレーメン州は敵を家に招きいれたことになる。

 1961年2月4日、SENAT議員たちの13時間におよぶ説得の末、C. ボルクヴァルトは事業をブレーメン州に委譲する書類にサインした。州政府が再建会社を設立するのだ。財政立直し代行人はゼムラーで、買戻し有効期限は6月30日。ほぼ強制だったが、他に道はなかった。その後、ゼムラーによって、ボルクヴァルトから6人の設計師がミュンヘンに送られた。そのなかの一人が後のBMW700を設計することになる。元社長のC.ボルクヴァルトは戻ることを許されず、1963年7月、失意のうちに世を去った。

 ドイツ語の作品で日本語字幕がなくて申し訳ないのだが、一世を風靡した魅力ある自動車会社が崩壊していく様を再現したドラマとして非常によくできているので、あえて紹介した。ドイツ放送のインターネット版、Das Ersteの以下のサイトで2月21日まで鑑賞できる。(ドイツ語・カラー・1時間27分29秒)
http://mediathek.daserste.de/Reportage-Dokumentation/Die-Aff%C3%A4re-Borgward/Video?bcastId=799280&documentId=59190142

【追記】C. ボルクヴァルトの孫が2008年、ボルクヴァルト・グループ(株)としてシュトゥットガルトに会社を再建した。出資は中国資本のFoton Motorである。

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