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zoom RSS 映画音楽という曲者――ドキュメンタリーにおけるその功罪について (序論)

<<   作成日時 : 2018/09/02 23:47   >>

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 ドキュメンタリーに背景音楽を使いすぎることに対する批判をいつかまとめておかなくてはならないと、ずいぶん以前から思っていた。背景音楽はドキュメンタリーをドラマ化してしまうからだ。「ドキュメンタリーはウソをつく」というとき、証言者群の選択と質問による誘導、カメラによるトリックや恣意的な資料選びとならんで、背景音楽による演出も「騙し」の立派な小道具である。たとえ証言者に演技をさせずにカメラに納め、適正な資料にあたって取材することができたとしても、そこに音楽を挿入することで作り手は鑑賞者の感情を支配し、作品に対する判断を一定の方向に誘導することができる。私が背景音楽への批判的検討が必要だと考えるゆえんである。

 だが、実例をあげながら論ずるのはかなり骨の折れる作業だ。それに音楽に対する筆者の好みが影響するから、意見が思いっきり偏向する恐れもある。そんな訳でうまくいくかどうかは判らないが、「ドキュメンタリーにおける音楽に関する批判的論考」みたいなものをとりあえず試みてみる。


1 フィリップ・グラスの音が厚かましいと感じる時

 まずは、気に食わない作曲家からまな板にあげる。フィリップ・グラスの短3度分散和音を基調にした感傷的な音の繰り返しが、私は好きでない。ミニマリズムと言うのだそうだ。彼が音楽を担当する映画はドラマであれドキュメンタリーであれ、なぜかひっきりなしにあの短3度のフレーズが鳴っている。「そんな場面に音楽はいらんだろう」、というようなちょっとしたショットにまであの音がしゃしゃり出てくる。フィリップ・グラスは非常に人気のある作曲家なので、これまでに膨大な数の映画音楽を手掛けてきている。だから自然、私も彼の短3度を聞かされる機会が多くなる。少し有名なドキュメンタリーでは、『フォッグ・オブ・ウォー、マクナラマ元米国防長官の告白』(原題「The Fog of War」2003年作品)がある。マクナマラがしゃべっている間中、バックで短3度の音がゆらゆらと鳴り続けているのがたまらないほど気持ち悪く、あのドキュメンタリーはまだ最後まで見ていない。マクナマラが「ジャパン、ジャパン...」としきりとしゃべっているのは判るのだが、脳細胞が「ドミ♭ドミ♭」やら「ラドラド」に執着してしまうのだ。

 いや、もう少しまじめな書き方をする。たとえば作品中、キューバ危機で核戦争が始まって世界が終わるかもしれないという危機感を演出するのに、あの音楽でもり上げる。わかりやすくはある。しかし、現実世界では、危機にバックミュージックはなかった。ニューヨークでもワシントンでも、人々はふつうに笑ったりハンバーガーを食べたりしていただろう。キューバ危機のことはわかっていても、人々の日常生活は続く。だから歴史をドキュメンタリーで再現するときには、音楽で演出するのはほどほどにしたほうが良いと思うのだ。マクナマラの証言と公文書や実写だけで観る者に判断させ、饒舌な音楽など加えないほうがよい。そうでないと私たちは、歴史上の出来事を感傷的に振り返るクセがついてしまう。それもいつか見せられた映画の製作者が意図する方向の感傷で。



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2 心象風景を作曲するフィリップ・グラス

 私がフィリップ・グラスを初めて聞いたのは、ヴァージニア・ウルフの生活をドラマ化した映画、『(めぐりあう時間たち』(原題「The Hours」、2002年作品)である。実はその時、私は彼の音楽が非常に気に入った。ウルフの「意識の流れ」を見事にとらえているように思えて、すごい作曲家がいるものだと感心したものだ。映画そのものもなかなかよくできていて面白かったので、DVDで何度か繰り返して鑑賞した。だが彼の音楽は鑑賞者の心の中にまで割り込んできて、映画に対する心象風景をひとつの色に染めてしまう傾向がある。ヴァージニア・ウルフの自死に至るまでのつらい内面を彼なりの解釈でメランコリックにミニマライズし、信号化して観る者の脳裏に植え付けたという点では、グラスの音楽は大成功だったかもしれない。だが、映画音楽としてはやはり厚かましいのではないか。時がたつにつれ、「こういう音楽の使い方はまずいんではないか?」、というふうに考えるようになってきた。


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3 ドキュメンタリー作家と音楽

 非常に重要ですぐれたドキュメンタリー映像を制作するけれども、音楽の使い方があまりうまくないジャーナリストにジョン・ピルジャー(John Pilger)がいる。彼のかなり古い作品で、悲惨な状態に追い込まれている低開発国の子供たちの映像に、なんとも哀れな音楽をかぶせた場面があって、見ていてなんとなくいやな気分になったことがある。映画監督がみな音楽にくわしいとは限らないので、こうしたことも起こるのだろう。こうした問題点を整理しながら、今後少しずつドキュメンタリーにおける背景音楽について考察していこうと思っている。(©林洞意)





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