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zoom RSS 亡命作家の半生『シュテファン・ツヴァイク、さらばヨーロッパ(黎明を見ながら)』

<<   作成日時 : 2018/02/15 06:19   >>

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 オーストリア出身のユダヤ人作家、ツヴァイクの亡命生活を描いたドラマ映画、『シュテファン・ツヴァイク、さらばヨーロッパ』(2016年作品。”Vor der Morgenroete/Stefan Zweig / Farewell to Europe”、ドイツ語原題は『朝焼けを前に』あるいは『黎明を見ながら』)はなかなか見ごたえのある佳作だ。監督は女優でもあるマリア・シュラダー。

 1936年9月、亡命先の南米で国際作家連盟の学会に招かれたツヴァイクは、ブエノスアイレスを訪れた。当時世界的な成功をおさめていたツヴァイクは、会場で記者会見を行なう。記者たちから「ドイツでは第8回ナチ党大会が数日前に始まった。他にもオリンピックの終了を待って、兵役期間の2年への延長が発表された。このことからある結論が導き出されると思うのだが、どうか?」、あるいは「ドイツは戦争を準備していると思うか?」という質問を受けるのだが、ツヴァイクは「ドイツの先行きは予想できない。私はドイツも他の国も批判しない。知識人は意見を作品で表現するべきだ」とそっけなく答えてドイツを具体的に非難しようとしない。そして「ヨーロッパの将来に平和を信じるか?」との問いには、「信じている。ヨーロッパには国境やビザが歴史となる日がくる。それを我々は経験するんだ」と答える。ニューヨークから来た雑誌記者は失望し、「そんなことで独裁者と闘えるのか」といきり立つ。

 さて、学会が始まり、司会者がドイツから追放や亡命を余技なくされたり、あるいは収容所に送られた作家や学者たちの名前を読み上げて讃える。いかに物の言えない時代であったのかを想像するに十分な名前なので、以下に列挙してみた。(まだ1936年当時のものなので、実際に亡命したユダヤ系あるいは反ナチ知識人の総数ははるかに多く、また戦争終結時までに命を落とした者も少なからずいる。名前は横文字と日本語訳とを併記する。なお、聞き取りにくい名前が2,3あったので、間違えた場合はご容赦願いたい。)

Lion Feuchtwanger リオン・フォイヒトヴァンガー
Thomas Mann  トーマス・マン
Heinrich Mann ハインリッヒ・マン
Klaus Mann クラウス・マン
Kurt Tucholsky クルト・トゥホルスキー
Walter Benjamin ウォルター・ベンヤミン
Stefan Zweig シュテファン・ツヴァイク
Alfred Doeblin アルフレート・デブリン
Ernst Toller エルンスト・トラー
Hermann Kesten ヘルマン・ケステン
Alfred Kerr アルフレート・ケール
Oskar Maria Graf オスカー・マリア・グラフ
Else Lasker-Schueler エルゼ・ラスカー=シューラー
Ludwig Marcuse ルドヴィク・マルクーゼ
Alfred Polgar アルフレート・ポルガー
Josef Tal ヨゼフ・タル
Bertolt Brecht ベアトルト・ブレヒト
Erunst Bloch エルンスト・ブロッホ
Salomo Friedlaender サロモ・フリードレンダー
Anna Seghers アンナ・ゼガース
Siegfried Kracauer ジークフリート・クラカウアー
Erich Maria Remarque エーリヒ・マリア・レマルク
Carl Zuckmayer カール・ツックマイヤー
Albert Einstein アルバート・アインシュタイン

 彼らを代表する人物として、ツヴァイクは参加者から満場の拍手を浴びるのだった。学会はとても国際的な雰囲気で行なわれていて、多くの通訳が参加者のとなりに座って、壇上の発言をいろいろな言語に同時通訳している。登壇者は政治と文学の境界が取り壊され、検閲が広がっていることに触れ、「ドイツの作家に今起こっていることは、他の国の作家にも将来起こりうる」と警告を発する。この場面は当時、南米に渡った知識人たちの雰囲気が再現されていてなかなか面白い。

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 ツヴァイクは1881年、オーストリアはウィーンの裕福な家庭に生まれた。1920年代にはすでに作家として成功し、名声をほしいままにしていたが、ヒトラーの台頭をみて1934年に妻とともに国を去る。ロンドン、バース、米国のニューヨークに住んだ後、南米を転々とし、再婚したイギリス人の妻とともにブラジルのペトロポリスに住居をかまえる。映画ではナチスの恐怖に怯えながら世界中を転々とし、講演をしながら生計をたてる夫婦の厳しい状況が描かれる。だが、ツヴァイクはブラジルを非常に気に入ったようで、あらゆる人種がともに平和に暮らす土地としてほめたたえた著作、『未来の国ブラジル』を執筆し、代表作ともいわれる『昨日の世界』を完成させた。ところが直後の1942年に妻とともに自殺してしまう。正確には『昨日の世界』を出版社宛に投函した翌日だったそうだ。映画では監督の意向により、自殺にいたる心境などは一切排除して描かれ、エンドマークになる。鑑賞者に自分で判断する余裕を残したかったらしいのだが、どうも消化不良が残る。このへんは、作品を読むことから憶測するしかないのだろう。

 ちなみに最後に愛した土地を描いた著作、『未来の国ブラジル』は発表とともに各国語に翻訳されたが、現地での評価はかなり厳しいものになった。ツヴァイクの描くブラジルは産業化や近代化の現実を描いていなかったし、著作で誉めているジェトリオ・ヴァルガス大統領は独裁者で、ツヴァイクの亡命を助けた左派の知識人たちを投獄していたのだ。ツヴァイクは名声のおかげで難を免れていた。こうした政治状況を読めなかった作家の限界は、後の批評家から指摘されている。

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ナチスによって焼かれたツヴァイクの書物





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