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zoom RSS ★推薦ドキュメンタリー★『ヒトラーの子どもたち』(2011年イスラエル・ドイツ合作)

<<   作成日時 : 2017/10/30 07:03   >>

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「なぜ僕が生きてるんだ? この罪と重荷を背負って、それと折り合いをつけるため? それが僕の存在する唯一の理由なんだと思う」。ライナー・ヘスはアウシュビッツの指揮官、ルドルフ・ヘスの孫である。ナチス犯罪人の子孫にとって、過去は常に現在であり、未来は永遠に罪と共にあるのだろうか。ドキュメンタリー映画『ヒトラーの子どもたち』(2011年、Hitler's Children)は、5人の男女が祖先の犯した罪から自由になるためにさまよう闘いの物語でもある。監督はハノッホ・ゼービ(Chanoch Zeevi)。

 その日、ライナー・ヘスはミュンヘン現代史協会で、ホロコースト・サバイバーの孫でジャーナリストでもあるエルダド・ベックを前にして40kgもある耐火金庫のふたを開けて見せた。中に入っていたのは、ルドルフ・ヘス一族の写真である。ライナーの父とその兄弟姉妹が育ったなかなか立派な家はアウシュビッツにあって、収容所のガス室からわずか数ヤードのところに建てられていた。だが家族の写真には、屋敷の庭で楽しむヘスの子どもたちの牧歌的な様子が映し出されている。近所にあるはずの収容所は塀で見えないように隠されていて、見事な造りのおもちゃやプールはすべて、囚人の手によるものだった。ライナーは小さい頃に、母親からこれらの写真を見せられた。父は威圧的な人だったようだ。そして「さらに悪いことに父は内心、最後まで第三帝国の狂信者でありつづけたのではないかと思うんだ」、と邂逅する。結局、両親は離婚し、それ以来ライナーは父と会っていない。ベックにこの写真を見せた後、二人は一緒にアウシュビッツへ旅することにする。

 二人目の登場人物、二クラスの父親であるハンス・フランクは占領下ポーランドの総督で、ゲットーや収容所の責任者だった。そして二クラスはホロコーストの恐怖を直接目撃している。ある日、受話器を持った母が「ハンス、総統よ!」と叫んだ。シャワーを浴びてた父は素っ裸で飛び出して行き、直立不動で電話を受けた。「総統が私をポーランド総督に任命してくださった!」。この記憶を語る二クラスの顔は、怒りと悲しみを必死に押し殺しているように見える。二クラスもライナー同様、両親の愛を受けたことがない。「兄にも聞いてみたんだ。母からハグやキスをしてもらったことがあるかってね。でも、そんなことは一度もなかったと兄も言うんだよ」。

 二クラスは現在までずっと両親を怪物とみているだけでなく、自分に対しても厳しい。彼は第三帝国の指導者の息子として育ったことについて本を書き、ドイツ中を旅して、その本を朗読する作業を続けている。訪問先の学校では、少年少女たちが非常に深刻な顔で彼の話を聞いている。子どもたちの刺さるような視線を受けるが、二クラスは淡々と語りを続ける。そして、過去から逃げるべきではないと考えている。だから、できる限り多くのひとに自身の過去を語り続けているのだ。これは日本の戦後教育が避けてきた、だが非常に大切なプロセスだ。ニコラスは言う。「もしまた経済が悪化したら、人々は再び強いリーダーを求めるかも知れない。少数民族に制限を加えて、投獄するかも知れない。収容所とは呼ばなくても、あちこちで小さな殺人事件が起こる。血統の純化のためとかドイツ人にもっと仕事を回すためとか言って。それが私は心配なんだ。」

 モニカ・ゲーツは父のアーモン・ゲーツがクラカウ収容所での大量虐殺に対する罪で処刑されたとき、まだ一歳だった。母が彼女に事実を隠して育てたため、モニカは子どものときからずっと、父のゲーツを好意的に思い描いていた。だが大きくなるにつれて父の本当の姿に疑問をいだくようになる。アーモン・ゲーツは映画、『シンドラーのリスト』にも登場している。何も知らずに観に行ったモニカは、映画に登場するSSが父のゲーツなのだとすぐに気がついた。囚人を狙撃し続けるゲーツの姿に、モニカは気が狂いそうになる。初めて事実を理解したのだ。ある日、モニカは微笑みながら母に質問を繰り返した。「何人殺したの? 一人、二人、三人・・・?」。母は突然家から電機コードを持ち出し、狂ったようにモニカを打ち続けた。頭をかばった両手から血がほとばしり出た。

 カトリン・ヒムラーは、家族の過去について調べ始めたことで、それまでは問題がなかった父親との間に亀裂が入った。祖父がハインリッヒ・ヒムラーの兄弟だったことが、父親にはあまりにつらくて超えられない一線だったのだ。彼女が古文書を探し出してきて父に質問しても、会話が続かない。だがカトリンは自分の一族を調べあげた。「私は祖母が大好きだったんだけれど、彼女が元ナチの戦争犯罪人たちと戦後も連絡を取り合っていたという手紙を見つけたときは、非常につらかったわ」。結局、カトリンが『ヒムラー兄弟』という本を書いたことで、家族との関係は最悪となったようだ。親族からしてみれば、悪魔を壷から放ったというのだ。

 カトリンは、若いドイツ人の歴史意識と自己認識がよく判る発言をしてくれている。彼女は外国に行くと、ドイツ人とばれやしないかと不安になるというのだ。「私は他の若いドイツ人と同じ問題を抱えているのよ。私の家族が特別だからじゃないの。同世代の何人ものドイツ人から同じことを聞いたわ。"外国に行ったらドイツ人と気づかれたくない"とね。ドイツ語をしゃべらず、オランダ人やスウェーデン人と思われたらいいのにと思うの。だから外国語をドイツなまりが出ないようにきっちりと学習したわ。それが私にとってはとても重要なことだった」。

 いっぽうへルマン・ゲーリングが大叔父にあたるベティーナ・ゲーリングは、ドイツから遠く離れることで家族の過去と自分を隔て、自我を守った。今はニューメキシコのサンタフェに来て30年になる。ベティーナは祖母が、「何も間違ったことはしていない」と言っていたのを覚えている。「11歳か12歳のときだったわ。テレビでホロコーストのドキュメンタリーをやっていたの。そしたら祖母が、"ウソよ、全部ウソよ"と言うの。私は"何いってるのよ、すべてあったことで、事実よ"と言い返したわ。そしたら家中で大喧嘩よ。・・・認めると恐ろしいことになるから、何も起こらなかったことにしてしまうのよ」。

 さて、アウシュビッツを訪れたライナーは、ヘス一家が暮らしていた家を訪れる。アウシュビッツの敷地内だが塀でかこまれ、ユダヤ人の犠牲のうえに優雅に暮らしていた父や祖父。ライナーは耐えられなくなって、"Wahnsinn, Wahnsinn!"(狂気だ、狂気だ!)とつぶやきながら泣き出してしまう。彼は40歳代半ばになるまでアウシュビッツを訪れる決心ができなかった。第三帝国関係者の子孫でも一生訪れない者もいるし、否定し、無視し、背中を向ける者もいる。

 ライナーはアウシュビッツで、イスラエルからやってきた学生たちと会い、自分が何者であるかを公表することにした。学生からは「何しにきたんだ」、「責任を感じているか」、「私の祖先はここで殺された」などの激しい言葉が投げつけられる。彼は「私の祖父のやったおぞましい行為を確認しに来た。そして家族がいつも吐いてるウソを確かめに来たんだ。祖父のやったことには私も罪を感じる」、と答える。最後に生存者だという老人が現れ、「あなたがやったんじゃない、あなたはここにいなかったんだから」といって、彼を抱擁する。彼の目は真っ赤である。後でライナーは、「人生で初めて恐れや羞恥心から逃れ、内面の喜びを感じることができた」と述懐している。

 カトリンはいう。「どこにラインを引くかは非常に難しい問題なの。ヒムラーより少しはましな悪人の子孫は、その祖父を愛することができるのか、という線引き。この質問への子どもたち自身の答えは難しくて、ナチ犯罪者の多くの子どもたちは、バランスを取れないでいる。多くは両親と絶縁し、自分が両親の歴史で破壊されないようにする。いっぽうでは、両親に忠誠を誓って無条件の愛を捧げる。そして、否定的なことがらをすべて拒絶するの。この両極端にならないことはすごくむずかしいわ」。同様の過去を背負う日本の戦後生まれとして、考えさせられるドキュメンタリーである。

【注】同じタイトルのドラマ映画やドキュメンタリーが複数存在するようなので、この映画については2011年版、Chanoch Zeevi監督で検索してください。ドイツ語版には英語字幕があります。


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