ヨハンナ比較文化研究所

アクセスカウンタ

 毎朝読もう、沖縄の新聞! 「沖縄タイムス」 「琉球新報」

zoom RSS 戦争画家は厭戦の夢を見るか?(続・藤田嗣治批判)

<<   作成日時 : 2017/03/29 01:18   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像
 上の絵画は小早川秋聲の代表作、「國之楯」(1944年作151.0×208.0cm、『芸術新潮』1995年8月号より)である。彼は決して反戦画家ではなく、満州事変当時から中国や東南アジアを渡り歩いて戦争画を描き、従軍画家としての地位を藤田嗣治と分かち合ってきた人物でもあった。だがこの作品で、小早川は日本の戦死者を描いてしまった。もっぱら敵兵の屍のみを描いてきた藤田と対照的なことをやってしまったのだ。さらに横たわる日本兵の背景にはもともと何かが描かれていたのに、後日それを全部真っ黒に塗りつぶしてしまったので、今となっては何が描かれていたか判らない。したがって、小早川が戦争礼賛をどの程度展開していたのかは判断できないが、結局この絵は当時の陸軍省に受け取りを拒否されたという経緯がある。

 いっぽう、戦争画家になることを明確に拒否した画家もいた。靉光(あいみつ)である。シュールレアリズムの絵を描いていた彼は当局に目を付けられ、知人から「軍に協力するフリだけでもしろ」と助言を受けるのだが、「わしにゃあ戦争画は描けん」と拒絶する。結果、絵の具にも不自由するのだが、「泥でも描ける」と言いはる頑固者だったようだ。ついには召集され、敗戦直後の1946年に軍の病院で絶命した。下は彼の自画像である。

画像


 こうした小早川や靉光というあまり有名にならなかった画家の生き方と比べて、前回紹介した藤田嗣治は戦争を「後世に残る大作を描く最大のチャンス」と公言し、屍はただの題材でしかなかった。どうしても人間の底が浅く感じられる。藤田は時代の所為にするが、人は厳しい状況に置かれてもどう生きるかをある程度判断することができるのだ。「悪の凡庸さ」という言葉は、藤田嗣治のような人物のためにあるのかも知れない。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

戦争画家は厭戦の夢を見るか?(続・藤田嗣治批判) ヨハンナ比較文化研究所/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる