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zoom RSS 『どうしました、シモンさん?』公民権運動を生きたシンガーの記録

<<   作成日時 : 2016/09/06 20:14   >>

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 深い味わいのある歌声と確かなピアノ技術を持ちながら、決して幸福でなかったニーナ・シモン(1933-2003)の生涯を扱ったドキュメンタリーがリズ・ガーバス監督の『どうしました、シモンさん?』("What Happened, Miss Simone?", 2015)だ。シンガーとして公民権運動の前面に立った彼女は、ラングストン・ヒューズやストークリー・カーマイケルなどと交流しながら「反動ブルース」、「クソッタレ・ミシシッピ」などのプロテスト・ソングを歌い続けた。映画の英語原題は詩人、マヤ・アンジェロウによる。

 映画は1976年、モントルーのコンサートから始まる。紹介とともに舞台に上がったニーナ・シモンは深々とお辞儀をしたあと、凍りついたような顔で客席を見回す。ピアノの前に座り、やっと笑顔を見せたことで観客がリラックスしたのもつかの間、歌い始めた途端、ピアノごしに客を指差し、「彼女、座りなさい!座るのよ!」と声高に𠮟責する。異様な雰囲気である(このコンサートの様子はドキュメンタりーの後半で明らかにされている)。さあ、これから有り余る才能を持ちながら、アフリカン・アメリカンであるがゆえに夢をかなえられなかった音楽家の物語が始まる。

 ニーナ・シモンは本名ユニス・ウェイモン。ノースキャロライナの牧師一家に生まれた。母の勤める教会でピアノを弾き始め、それが集会に参加していた白人ピアノ教師の目に留まる。教師はユニスを音楽大学に行かせるための基金を設け、自ら彼女のレッスンを始める。ニーナは回想している。「線路をわたって先生の家に通ったわ。線路を隔てて黒人と白人がセグレゲイトされてたのよ。教会でも私がピアノを演奏する時、両親は一番後ろから見ていなきゃいけなかった」。これがニーナが後に公民権運動に深く関与していく原体験となったのだろう。

 とにかくユニスは「初の黒人クラシックピアニスト」になるべく訓練され、毎日7時間バッハやラフマニノフをひいて少女時代をすごした。ジュリアード音楽院のサマー・スクールに通い、カーチス音楽院を受験する。だが、彼女は拒否されてしまう。ユニスの能力からみると、人種差別の所為であることは明らかだった。だが、ピアノを弾くこと以外やってこなかった彼女に道はない。しかたなく生活のためにバーでピアノを弾き、歌い始めた。ニーナ・シモンはこのときにつけた芸名である。「ジャンルを問わず、手当たりしだい演奏したわ。生活のためよ。それでいつかクラシックピアニストになろうと思っていたの」。しかし彼女の歌声には他にはない魅力があり、評価も高く、結局はこれが彼女の生涯の仕事になってしまった。結婚後は夫がマネージャーになり、夢であったカーネギー・ホールでのコンサートを実現させるが、演奏したのはバッハではなく、ブルースやジャズだった。

 1963年6月12日、ミシシッピ大学の公民権運動家、メドガー・エヴァーズが殺害された。非常なショックを受けたニーナは、フィリップス・レーベル移籍後のデビューアルバムで初めて公然と人種差別に抗議する歌、「くそったれミシシッピ」を歌う。以降、ニーナはコンサートでプロテスト・ソングを歌うようになり、公民権運動の担い手となっていった。「芸術家だったら時代を反映しないでいられないわよ」、とニーナは回想している。
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写真はメドガー・エヴァーズの墓

以下にプロテスト・ソング、「反動ブルース」の歌詞を紹介してみよう。

♪反動さん!
私を誰だと思ってるの?
あんたは私の税金をつり上げて
賃金を凍結しておいて
たった一人の息子をベトナムに送るのね

私に二級市民用の住宅を与えてくれ
私に二級市民用の学校を提供してくれるのね
有色人種はみんな二級のバカだと思ってるんでしょ

反動さん
あんたにブルースをぶつけてやるわ
ええ、そうよ!


あるいは「くそったれミシシッピ」の歌詞の一部

♪この国はウソの上に成り立っている
テレビの前にすわって
リンドン・ジョンソンのセリフを聞く
”アメリカの友よ、
暴力からは何も生まれない”
でもって、
白んぼがあんたをベトナムに徴兵するってわけよ


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 夫は彼女をアレサ・フランクリンのようなポップ・スターに仕立て上げたかったのだが、ニーナは聞かなかった。自身のアイデンティティを示し、ステージで闘うことがニーナにとっては大切であり、当然の行動でもあったのだ。「クラシックピアノでもクラシック音楽でもなく、ポピュラー音楽ですらない。私は市民権の音楽をやるのよ」。だが、もともとはクラシックピアニストになるべく育てられたニーナなのだ。内面は磨り減っていた。1970年9月、ニーナは夫や娘を残してアフリカのリベリア共和国に行く。魂の解放を経験したニーナだったが、生計をたてるのは困難だった。スイスのモントルーに行って、冒頭で触れたコンサートを行ない、フランスの小さな舞台で歌ったりした後、80年代はロンドンのロニー・スコット・ジャズクラブで演奏し続けた。晩年のニーナは双極性障害と診断され、乳がんでその波乱万丈の生涯を閉じた。享年70歳。

以下はニーナ・シモンが明らかにJ・S・BACHをアレンジしている演奏。



 
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