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zoom RSS 障害と疾病の歴史――11世紀から今日まで(英国)

<<   作成日時 : 2016/08/25 03:46   >>

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 今回は映画から少しはなれた話題になった。以下に紹介するのは英国で障害者や病者がどのように生き、社会にとけ込んできたかの歴史を検証し、記録するウェブサイト(Historic England : A History of Disability: from 1050 to the Present Day) である。

https://historicengland.org.uk/research/inclusive-heritage/disability-history/

 時間に余裕のある方や英語原文で味わうのがおっくうでない方は、上記アドレスに飛んで内容をじっくり読んでいただきたい。このブログで私が紹介するのは要約である。

1) 1050−1485、中世の障害者

 中世における修道院が病者や障害者のケアをどう行なってきたのか、そしてそれが今日の病院につながってきていることについて記述する。

 当時の障害者たちへの態度は一様ではなかった。原罪への罰を身に受けた者だとか、あるいは悪魔の仕業であるという見方があった一方で、彼らは現世において煉獄の苦しみを味わっているという解釈から、一般人よりも天国に近い存在であると見なされていた。

 障害者のための設備はなく、各々の共同体で家族や友人に支えられて暮らすのが一般的だったが、そうした人々がいない者については、修道僧や尼僧が世話をした。教会は「7つの快い作業」という教えに基づいて病者や障害者のケアをした。すなわち貧者に衣食住を与え、病者には渇きを潤し、死後には埋葬を施したのだ。また、「7つの聖霊による作業」は、カウンセラーと心の支えを意味した。

 この時期には宗教的基盤による病院が国中に造られ、ハンセン病や身体障害に特化した病院も建てられている。ロンドンのベツレヘム精神病院や救貧院もこの時期に建てられている。

2) 1485-1660年代

 16世紀には障害者の生活にとって大きな変化があり、その影響は今日まで続いている。ローマ・カトリック教会と袂を分かったヘンリー8世が修道院の解体を命じたため、病院は建物のみならずケアシステムを失ってしまった。彼らは路上での貧しい生活を余技なくされたのだ。このことに対する抗議の声にもかかわらずその後30年、新しい施設が建設されることはほとんどなかった。

 障害者のケアは宗教者に特定されない市民の義務となっていき、富裕層は名声のために施設を建設したりした。ロンドンでは新しい設備も建設され、以前の病院も再開された。これらは教区の献金や税金による公共設備であった。このころに成立した救貧法が内容を変えながら維持され、第二次世界大戦終結とともに廃止されて近代的な福祉国家を形成するまで存続することになる。
 
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写真はヘンリー8世によって破壊されたリーヴォウ修道院

3) 1660−1832年代

 チャールズ2世の治世から1832年の大改革法までの「長い18世紀」には、障害者にたいする理解の重要な変化があった。神の関与や占星術に説明をもとめていた狂気や障害に対する解釈の変更である。狂気はもはや魂の問題ではなく理性の喪失であり、適切な治療が可能だと見られるようになった。

 いっぽう障害者への援助はもっぱらキリスト教による個人の関わりや市民の義務感に依存し、国家は関与しなかった。障害者の社会生活は、一般市民に劣らず過酷なものだったのである。当時、大都市として拡大していたロンドンでは1666年の大火以降、その富と力を誇示するために富裕商人による大病院建設が計画され、その中には障害者用の病院も含まれていた。


4) 19世紀

 産業革命が英国の風景を一変させたこの時代、障害をもった人々の多くが地域社会からアサイラムやワークハウス(救貧院)に移動させられた。

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当時のワークハウス

 1892年の『建設業マガジン』には次のような記述がある。「各州を走るあらゆる主要な鉄道路線から、乗客は人里はなれた場所にある巨大な建築群を見つけるだろう」。これがアサイラムだ。

 1834年の救貧法に基づいて350ものぞっとしないワークハウスが建設された。みずぼらしく設計され、厳しい労働管理がなされた。働ける貧者は当然ここを避けたので、結局は障害者や病者が収容された。(ちなみにジャック・ロンドンのルポルタージュ、『どん底の人びと』[1903年、”The People of the Abyss”]を読むとおおよその雰囲気がわかる)。

5) 1914ー1945年、20世紀初頭


 20世紀初頭は優生学が公に支持されていた。ところが第一次大戦で負傷した兵士が英雄として大量に帰還したことで、それまで一般的だった「障害者はお荷物だ」という見方が問われることになる。彼らの存在は整形外科の発展に寄与し、新しいリハビリ訓練が施された。そして、障害者雇用が急務として提案された。今日に至るまで毎年、戦争犠牲者慰霊用の赤いポピーの花を製造している英国軍隊ポピー工場(障害者を主に雇用している)が南ロンドンに設立されたのも、このときである。

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 また当時は、貧困から病気を治療できず、障害をもつに至った児童数は50万人にものぼったということだ。だが、第二次世界大戦が始まったことによる労働力不足で、障害者の人生にも再び転機が訪れようとしていた。

6) 1945年以降


 第二次世界大戦の終結とともにナチス・ドイツにおける障害者の大量殺戮が明らかにされ、優生思想はやっと人気を失った。いっぽう現実問題として、英国内では30万人にのぼる復員兵士や市民、女性たちが戦争による障害を負って生きようとしていた。このことが一般の障害者待遇にも大いに影響し、国民健康保険制度における労働災害被災者への救済などが可能になったのだ。その後、60年代から70年代の市民運動の広がりが障害者団体による差別反対と平等要求の運動に波及し、1995年には障害者差別禁止法が制定された。

 以上、非常に簡単な要約である。








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